
車椅子の常識
けれども、Kさんに会わないことには何も始まりません。
「ブドウがあるよ」とか、「煮物がおいしいよ」と言つでもなかなか、出てきてくれません。
して、出てきました。
訪問などで気が付くのですが、良くも悪くも場」を悪者のように言う人ももちろんいるのですが(実はこれが多い、悲しいですが)、「役場」というと何でもやってくれる、助けてくれるスーパーマン、と思っている人もいるようです。
このKさんも、たぶんそのひとりだったのかもしれません。
かくして私は、Kさんと会うのです。
お嫁さんのお話の通り、お風呂に入らないので頭はボサボサ、何日も着替えをしていない、何か訳のわからないことを言っている。
みんなで、部屋の中でゲートボールするんですよ」と誘い、昔の話や、お嫁に来る前のこと、ゲートボールをしていた頃の話を聞いて、最後に握手して帰ることになりました。
外に出るとお嫁さんが、し、臭いよね。
迎えに来てもらっても知らない人の車じゃ乗らないかもしれないから、行くと言ったら私が連れていきます。
でも、今日は、話をゆっくり聞いてもらっただけでもよかった」と言ってくれました。
朝になって忘れているかと思っていたら、覚えていたので連れてきました。
本当に1日置いていってもいいのですか」と、お嫁さんは不安げな様子でした。
こういう時、スタッフというのは態度が大きくなるのです。
「大丈夫です、みんなでやりますから任せてください」と3人ぐらいでニコニコしながら言ってしまうのです。
リハビリデイケアの最初のあいさつ。
担当の小田切さんがとかいろいろ使います。
エレベーターも使ってください。
今日は00地区のKさんが始めて参加してくれました。
Kさん、それでは、自己紹介をお願いします」とKさんを指名しました。
私たちは当然のように、みんなの前で、名前と住所だけの簡単な自己紹介を予想していました。
ところがKさんは、そこにいた30人の1人ひとりに近寄ってあいさつを始めたのです。
それも、ちゃんと相手にも、「どこから来たの」とかいろいろ聞いているのです。
その様子を見て私たちスタッフは、「今まで、なにか間違っていたことをしていたのかも」と、話しました。
参加者も、ボランテイアもスタッフも、ゆっくりとKさんとお話ができました。
とても暖かいものを感じました。
普通は2、3分で終わる自己紹介タイムが、この日は30分ほどかかりましたが、とてもいい時間の流れでした。
室内ゲートボールも順調に進み、予想していた俳個もなく、昼食時間になりました。
リハビリの昼食は、この目、食生活改善推進員のボランテイアさんが作ってくれたものを、全員で食べました。
みんなで食べると、とってもおいしいです。
作ってくれた人も食べる人も同じものを食べるのはいいですよね。
もうすぐ食事も終わる頃、Kさんは「ワーッ」と泣いて、扉のほうに早足で歩いていきました。
何があったのだろう、とスタッフが追いかけましが、ただ泣くばかりです。
ボランテイアさんが「どうしただい、ご飯がおいしくなかった」と聞いても、首を横に振るばかりです。
しばらくするとKさんは、「せっかく出してもらったのに全部食べられない、もったいない、罰が当たる、もう帰る」と言っているのでした。
「今日は、少し量が多かったかもしれないから」と言っても納得しません。
「それじゃ、2人で食べてやるよ。
ダメだったあるリハビリデイケアの日、いつも早く来るKさんが来ないので、が遅くなってすみません。
実は朝方亡くなったんです」。
人間の死というのはある日、突然やって来ます。
Kさんとお付き合いして数カ月でした。
「今週もまた来てくれるよね」なんて話をしていたときだったので、みんな目を赤くして泣いてしまいました。
とてもおだやかな表情で亡くなっていったそうです。
しばらくして、Kさんのお嫁さんと町でお会いしました。
「高戸谷さん、私、おばあちゃんのこと、リハビリに行かせてもらってよかった。
あのままだったら、嫌な思い出しか残らなかったかもしれない。
それにリハピリで作ったものも、数は少ないけれどうちに残っているのよね。
家族で、それを見て、『あの時、喜んでこれ持ってきてくれたなあ』って、みんなで思い出すんだよ」と話してくれました。
痴呆ってなんだかよくわかりません大変だとみんな言います。
けれども、80、90歳になって、いったい、人間の頭はどこまでしっかりしていなくてはいけないのかと、Kさんを始めリハビリデイケアに参加していたみなさんを思い出すたびに考えてしまいます。
腰や膝が弱くなるのは、年をとれば「仕方がないよね、もう何十年も使っているのだから」とよくお年寄りは言います。
「でも、頭だけは呆けたくない、どうすればみんなに迷惑をかけない?」とも聞かれます。
これに答えるのは難しいです。
私たちの人生の先輩たちが、ンだと思います。
腰も、膝も、目も耳も年をとるんだから、それをつかさどっている頭だって年をとります。
頭だけ年をとらないなんて、なんかヘンです。
ポケにならない生活をすることは大切ですが、年相応の呆けがあっても安心して住める地域づくりが大切だと思います。
信州新町は、呆けにならない豊かな生活がいっぱいあります。
「園芸療法」なんて言わなくても、田や畑があって、下手なリハビリより、キュウリやリンゴを採るときは、手も肩も腰もいっぱいまで伸ばします。
います。
四季折々に小鳥や虫やヘピだっています。
「音楽療法」なんて言わなくても、カラオケ同好会や大正琴も盛んです。
また、信州新町は、あまり変化に富んだ町ではありません。
俳個しでも、何十年も歩いた慣れた道なのでそうそう迷子にはなりません。
隣近所で煮物や赤飯、おやきを作ったりすると分けるといういい習慣もあります。
どうです、呆けや寝たきりになっているヒマはないでしょう。
こんな環境なのに、呆けや寝たきりの人はいます。
まだまだ保健婦の“心の動かし方"の支援が足りないのかもしれません。
私の所属している「信州新町保健介護センター」は、どんな健康レベルの人でも元気になれる、ここに来ると予防的ケアのコーディネートができるのが自慢です。
「ここに来ると、元気になれる」は決して民間デイだけの言葉じゃないと,思っています。
ということで、呆けになろうがなるまいが、同じスタンスでこれからも仕事をしたいと思います。
そう、地域のみなさんとゆっくりと。
当時(1994年)、私はリハピリ専門病院に併設された訪問看護ステーションに専属OTとして勤務していました。
先頃、人生の幕を閉じられましたが、今でも強く胸に残っている方の事例です。
この方は私の師ともいえる方でした。
ご本人やご家族と関わり、大変勉強させていただいたと同時に、痴呆の方に対するケアはどうあるべきか、考えを新たにさせられました。
その前年のある日、丸山達夫さん(仮名)77歳は、イレウス(腸閉塞)の手術のため、ある病院へ入院することになりました。
パーキンソン症候群を併発していましたが、まだこの時点では痴呆の程度は軽く、意思の疎通もできていました。
術後、医療行為の名のもと、両手足を抑制されたのです。
また、生来フトンで寝るという生活習慣であったため、ベッドでは落ちたら怖いという心理も働き、常にベッド柵にしがみつき、ずっと天井を見て過ごしていました。
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